福岡といえば屋台文化。子どもの頃から憧れていた屋台での初体験と、瓶ビールを通じた出会い、そしてコロナ禍を経て再び屋台で乾杯したい想いを綴ります。
はじめに
福岡といえば「美味しい食べ物とお酒」、そして街の象徴ともいえる 屋台文化。
福岡市の夜を彩る屋台は、観光客にとっても地元民にとっても特別な存在です。
私自身も、幼い頃から屋台に憧れを抱いて育ち、二十歳になって初めて暖簾をくぐった日のことを今も鮮明に覚えています。
本記事では、私が実際に体験した屋台での思い出と、コロナ禍を経た今の屋台への想いについて綴ります。
幼い私にも屋台は充分魅力的だった
私は福岡生まれ福岡育ち。
中学生や高校生の頃、天神や中洲の屋台街を通りかかるたびに、そこにはいつも大人たちの賑やかな声が響いていました。
- 店主と常連客の軽快な会話
- 鉄板でジュージュー焼かれる焼きそばの音
- 豚骨ラーメンの香り
そのどれもが「大人の世界」の象徴に思え、立ち止まって見つめたくなる存在でした。
もちろん未成年の私に居場所はありません。
それでも「お酒が飲めるようになったら絶対に行こう」と心の中で決めていました。
大人になり、お酒を飲み始めた。初めての屋台
2016年秋、20歳になった私は念願のお酒デビューを果たし、まずはビールに挑戦しました。
最初は苦さに驚きましたが、すぐにその魅力に取りつかれ「これが大人の味か」と少し誇らしく感じたものです。
そして、私には行くべき場所がありました。
「大人になったら屋台へ行く」――子どもの頃からの憧れを叶えるために。
屋台の暖簾をくぐると、広がる出会いの場
初めて暖簾をくぐった屋台では、店主が気さくに迎えてくれました。
カウンターには大阪から出張で来ていたサラリーマン、北海道からライブ遠征に来ていた女性客。
「えっ、屋台はじめてなの?」
「福岡に来たら絶対ここやで」
そんな声をかけてもらい、私はすぐに打ち解けました。
初めて瓶ビールを注文し、隣の方に注いでもらった瞬間の感動は今でも忘れられません。
瓶ビールを回し合うことで自然と距離が縮まり、「瓶ビールコミュニケーション」の魅力を知ったのです。
方言が飛び交い、見知らぬ人同士が笑い合う――。
屋台は想像以上に多様で温かい出会いの場でした。
店主の提案で体験した“屋台延長戦”
深夜3時、閉店時間まで残った客は私ひとり。
店主から突然の提案がありました。
「最後まで付き合ってくれたら、今日は一銭も取らん」
驚きながらも、私は「片付けを手伝う」という条件で受けることに。
それから閉店までの数時間、店主と二人で語り合い、屋台の裏側を体験しました。
- 常連客との思い出話
- 私の将来の夢の相談
- 近所のスーパーの惣菜が半額になる時間の話
なんてことのない会話が心に刻まれ、片付けを終えた頃にはすっかり店主と打ち解けていました。
「また飲みに来いよ」
その言葉を背に帰路についた夜。
屋台はただ食べる場所ではなく、「人と人をつなぐ空間」だと実感しました。
コロナ禍で変わった屋台と今の想い
新型コロナウイルスの流行で、福岡の屋台も長期休業を余儀なくされました。
営業再開後も座席数の制限、アクリル板の設置、県外客の減少など、従来の賑わいは影を潜めています。
- 偶然の出会いが減った
- 店主との距離感に壁を感じる
- 多様な客層が少なくなった
「これじゃ屋台じゃない」と感じる人もいるかもしれません。
しかし、屋台の魅力は必ず復活すると信じています。
一人ひとりが感染対策を徹底し、少しでも早く「壁のない屋台」が戻ってくることを願っています。
まとめ:また屋台で新たな出会いと瓶ビールを
幼い頃から憧れていた福岡の屋台。
初めて訪れた日の温かい出会いと、店主との特別な時間。
そしてコロナ禍を経て、屋台の存在がますます大切に思えるようになりました。
コロナが完全に収束したその日には、また屋台の暖簾をくぐりたい。
知らない人と肩を並べ、瓶ビールを分け合い、笑い合いたい。
屋台はただ食事をする場所ではなく、新しい出会いと物語が生まれる特別な空間。
福岡に戻ったとき、きっとまたあの夜のように、見知らぬ誰かと乾杯している自分がいると信じています。
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